setsの独り言

setsの独り言

独り言・ささやかな情報発信・考察・メッセージなどを綴って居ります・未熟なクリスチャン

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不器用も過ぎれば迷惑?!

 タイトルを修正しましたら、はてなスターが消えてしまいました。。何故、消えてしまうのか・・申し訳御座いません。。しっかり心に入って居ります。

 スマホではてなスターは確認させて頂いて居ります。画面上消えてしまいまして申し訳御座いません。
 タイトルはわたしへ向けた言葉です。どう考えても、わたしが想い描いていた感じとは掛けなはれたところか、全く真逆の結果に成った事を想います。しかし、これも神様の御心ならば、わたしは受けれます。

 クリスチャンに成ったと言うより成っていたというのが、わたしの中ではしっくりくる感じです。14年前にHPでクリスチャンの方がアドバイスコメントして下さらなかったらどうなっていた事か。14年前は廃人でしたので、あのまま政治に傾倒していたら身を滅ぼしていたと想います。政治家さんは別です。

 14年前の当時、全ての不幸な出来事の原因を政治にぶつけておりました。HPに政治・社会への不平不満を羅列して綴っておりました。今だから振り返れますが、あの時のわたしは何かに憑りつかれたかの様でした。本来のわたしの姿では無かったです。

 そして、飲めないお酒を飲んでは神様に喧嘩を売っていました。事実です。酔っぱらって「神様がいるなら何とかしてみろ!!何でもできるんだろう?幸せにするのが神様じゃないのか!!何にもできないじゃないか!」っと何も見えない天井に向けて怒鳴っていた事だけは覚えて居ります。

 そんな時、HPのコメント欄に1つだけコメントがありました。内容は「ヤフーチャットというものがあるので、そちらで息抜きしてみてはどうでしょか?」っという綴りとURLが貼ってありました。そのコメントを下さったのがクリスチャンの方でした。人生で初めてクリスチャンという方と文字ですがやりとりした瞬間でした。

 ヤフーチャットという文字で会話をするサイトでも政治をチャットの人達と討論しておりました。ハンドルネームが必要だったので、何も考えずにキーボードをバ~っと打ちました。その時の表記がたまたま「setspie」だったと想います。セツパイエ?セツピー?。チャット仲間から読めないから「セツ」で良いよね?っと言われました。わたしは何も考えて居りませんでしたのでセツで良いよ。っとお返事をしました。ですからローマ字表記に代えた「sets」に深い意味は全くありません。旧約聖書に出て来るセト(またはセツヘブライ語שֵׁת現代ヘブライ語Šetアラビア語شيثとは奇跡的に同じだっただけです。

ja.wikipedia.org

 こればかりは説明を無理やりつける意味はないと想います。もしかしたら何か意味があるやもしれませんが、わたしには分かりません。

 ヤフーチャットにのめり込む様になってしまって、アドバスや色々スカイプでお話して下さったり聖書や書物を贈ってくださったのに、その恩を仇で返す様に連絡をしなくなりました。そのまま十数年経ってしまいました。クリスチャンの相手方の連絡先やメールアドレスも紛失してしまったので、どうにも出来ませんでしたし、わたし自身がお世話して下さったクリスチャンの方を忘れるが如くヤフーチャットの人達とあれこれしておりました。

 その後、ここではその途中経過に何があったかの詳細は割愛させて頂きますが、本当に怖い想いを致しました。インターネットの世界での人間関係の恐怖を肌で感じた事がありました。それ以来、インターネットの世界の方と直接的にお会いする事を極限まで避けてきています。それは今でも同じなのです。あまりにも、その期間のお話内容が複雑すぎまして新興宗教やクリスチャンを辞めて悪魔崇拝になってしまった方との接触でしたので、最初は、わたしは相手の事を殆ど何も知りませんでしたが、会ってみたらそうゆう方々だと知る事になり、トラブルに巻き込まれまして逃げる様に、本当なんとかかんとかでした。しかし、新興宗教や悪魔崇拝の信者様を悪く言っているのでは御座いません。

わたしには合わなかったと言う事です。

 そうゆう事があり、わたしは心身消耗しておりました。仕事との平行での事でしたので、お話はややこしさにプラスしてめちゃくちゃ状態でした。

 そんな事があり、どれ位経った時でしょうか。自宅の郵便受けに大きい封筒が入って居りました。わたしはすっかり忘れてしまっていましたが、10数年前にわたしが恩を仇で返す様に裏切って連絡を全くしなくなった方(クリスチャン)でした。その方は、当時はわたしが時折つく虚言を全く疑わず、100パーセント信じきっているのです。当時のわたしは、「こんな事、普通に考えたら嘘って分かるでしょ・・」っと想って居りました。性格がねじ曲がって最悪の性格に成って居りました。生まれた時は、草木を見て遊んでいた自分の姿なぞは消滅しておりました。

 そのクリスチャンの方は、ヤフーチャットにのめり込む前に、わたしをお世話して下さっている最中に、共同で絵本を作るという事を提案して下さって居りました。わたしは詩をその為に作りました。それが「月とうさぎと金星と」なのです。絵本は相手のクリスチャンの方がわざわざ形にしてくださりました。わたしの為に。そして手紙が添えてありました。内容は控えさせて頂きますが、わたしは手紙を読んだ時に泣きました。。そのクリスチャンの方は、わたしにこれだけ裏切られて恩を仇で返されて、嘘をつかれて、突然連絡もしなくなったわたしに、手紙で体を心配して下さる内容と、真っすぐで純粋な内容の文章を綴ってくださりました。わたしは想いました。「嘘だ・・あんな事をされて、全く俺を疑ってない・・信じ切っている・・あり得ない・・何だろうか・・この人は・・でも・・」涙がぽろぽろとアニメの様に溢れかえって(あふれかえって)きて、自分で制御が出来ない程に涙が出てくるもので・・。

 わたしはその時、ようやく自分のした行為言動を振り返れました。なんと酷い事をしたのだろうか・・酷いどころの話ではない・・っと。。一緒に絵本を作ろうと提案し途中まで仲良くしてくださっていたのに、わたしは一方的に裏切りました。しかもとっても酷い形で。恐らく考えられる限り最悪の裏切り方です。

 それでも最後の最後まで、全く疑わず、わたしを責めず、寧ろ相手のクリスチャンの方から手紙内容で「気持ちを傷つけて無いかと心配です」っとありました。。

 わたしの生きてきた生き方で、こうゆう思考回路というのでしょうか、こんな人は人間ではないと・・想った程に純粋すぎて・・当時のわたしはどう対応して良いものかと困惑さえしておりました。。何たる人間として地に落ちた状態のわたしの思考回路です。

 今、わたしは14年前のそのクリスチャンの方とメールだけのやり取りを時折させて頂きつつ、クリスチャンになる時の御相談や様々な細かい悩みや、クリスチャンとしての生き方・考え方の軸を教わった形です。今現在も、深い悩みの時はメールさせて頂き悩みの解決の助けになって頂いて居ります。と綴りましたが、現在は聖書と神様との対話から解決して頂いて居ります。

 わたしは感覚を最重要にして生きてきました。しかし、感覚と言いますものは、その個人の人間の裁量や経験、知識などから導き出されるものであり、問題が生じた時に置いてのベストな回答が出来るかどうかは分かりせんでした。そうゆう意味での成功と失敗と挫折の入り混じる人生でした。不可抗力的に体を壊す事も相まってごちゃごちゃでした。入院も毎年して居りましたから・・電解質関係の問題でした。1度は本当に死にかけまして死ぬ可能性がある事を許諾する旨の誓約書にサインをしました。

 わたしが昨年の3月電解質異常を起こし、救急車が来るまで、もがき苦しみながら、イエス様にクリスチャンでも無いのに助けを求めたのかと言うのは14年前のクリスチャンの方との接触や、相手様クリスチャンの言動・生き様を肌で受けてきて、わたしの体に染み込んで居りましたのでしょう。はっきりとは分かりませんが、布団の中でもがきくるしみながら「イエス様助けて」っと何度も何度も想ったり口に出したりしていました。

 その夜、救急搬送先の病院で意識を失い翌朝目が覚めました。冷たいベットで体中に心電図や点滴や尿道カテーテル等がされておりました。多量の汗が噴出しておりました。体の電解質異常が極めて危険でした。死に至るギリギリの数値らしかったのでした。

 様態が安定したころ、スマートフォンでニコニコ生放送とツイキャスを見て居りました。入院前は日課のようにニコ生とツイキャスを拝聴して居りました。そこで偶然?奇跡的?にプロテスタントの教会の伝道放送を知りました。毎朝7時に早朝の伝道放送がありました。決まった時間に毎日あるので入院生活の張にさせて頂いておりました。夜はニコ生で拝聴させて頂き、日曜日は日曜礼拝放送を拝聴させて頂きました。ツイキャスでの朝の伝道放送の時「進化論」について質問があり、牧師さんにお聞きして、科学万能のわたしでしたが、進化論を疑う余地があるものとして捉える様になりました。その事自体も重要なのですが、その時に牧師さんと気持ちが一緒に成れた気持ちなり、牧師さんに肯定して頂けた事で心が楽になったのでした。14年前のクリスチャンの方は牧師さんではない、信徒さんでした。わたしの14年弱の間にクリスチャンの信徒さんと悪魔崇拝に代わってしまった元クリスチャンの方、新興宗教にどっぷりの方、そして、最後にキリスト教牧師さんに奇跡的に出会いました。しかし、だからクリスチャンになったのかと申しますと違うのです。退院してしばらくしてユーチューブを見て居りました。何かふとマザー・テレサ修道女の動画を見て居りました。マザーはカトリックですが、そうゆう事は考えずに見て居りました。マザー・テレサ修道女の言葉がわたしに突き刺さりました。「わたしを神様の御心をあかしする道具としておつかい下さい」「貧しい人はどこにいる?もっと貧しい人がいます。そこに行きます。そこはどこですか。」「日本人は海外の貧しい人の心配をするよりも、帰って家族と過ごして下さい」っという感じだったと想います。また、マザーは異なる神を信仰していた人が倒れて居りましたが、助けて、相手の信じる神様の様式で対応されたとか。その事で相手方がマザーの行いをゆるし認めたのでした。そうゆう動画や発言を見聞きしていたら、いてもたっても居られずに14年前のクリスチャンの方に「マザー・テレサさんの様なクリスチャンになりたいです」っと伝えました。何たる大それた発言かと今でも想います。マザーはカトリックですがわたしはプロテスタントです。わたしの想うのは様式が違いますが同じクリスチャンであるという大きな気持ちで捉えています。

 長くなりました。急に唐突に綴って居りました。聖霊様のはたらきなのでしょう。

 時間も時間ですので、この辺の終わりに致します。この綴りを読んで頂いたお方様がどう想うかは分かりません。ただ、わたしの歩みを少しだけ綴らせて頂きました。わたしは頭も良くありませんし、エリートサラリーマンでも無いですし、体も壊して居ります。やっとやっと神様に救われて生きているのです。恵まれた家庭でもありません。そうは見えないと想うでしょうが、ブログでこれ以上は綴る事は控えさせて頂きます。一つ言える過去は、中学校時代はサッカー部のシューズを買うお金が無く焼却炉で先輩が捨てたシューズを拾い使って居りました状況でした。食事も少なかったのでガリガリでした。その事で中学校でいじめを受けました。ガリガリで耳が大きいので宇宙人と言われたりしておりました。他にも兄弟の深刻な自殺未遂もありました。色々ありました。これは初めて綴りました。兄弟は今は元気で自活し子供を成人させて立派に過ごしております。

 わたしの家庭・人生はそうゆう感じです。

 読んで頂きましてありがとうございました。ヘビーな内容も含まれておりますのは申し訳御座いません。

 by sets

ヨハネの黙示録 3:20

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