setsの独り言

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独り言・ささやかな情報発信・考察・メッセージなどを綴って居ります・クリスチャン

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声を聴きたかった

声を聴きたかった

 わたしが介護福祉士の現場で活動させて頂けて居りました時のお話です。

 一気にお話に飛ばさせて頂きます。

 その日、わたしは夜勤入りでした。申し送り(日勤職員さんから日中の出来事や入所者様の様態などを事務所で聴く事)が終わり夜勤職員さんと遅番さんパートさんが一気にフロアーに散らばります。食事や口腔ケア等もろもろ終わり、消灯になりました。夜勤者は当時、介護職員一人で、記憶が少しあいまいですが約35名様の入居者様のお世話をさせて頂いて居りました。わたしは2階フロアーで一人翌朝までの勤務です。看護師さん1名は2階3階4階を用事に合わせて移動されますが主に3階4階がメインでした。2階フロアーは何でも屋的な位置づけでした。細かいお話は割愛させて頂きます。

 夜勤の巡回をしておりました。下のお世話もさせて頂いて居ります最中に御一人様の入居様女性が居りました。御年齢は当時92歳。元従軍看護婦(現看護師)のお方様でした。カルテを見て病気や生活歴等の情報を頭に入れておきます。そのお方様はある病気でお話が出来ない状態でした。声を出す事が出来ません。そして両腕・両足が硬直(固まって動かない状態)の寝たきりのお方様、身長もおおよそ135~145㎝程。認知機能に問題は無く感情も安定されているとの医師の診断あります。

 実際にお世話をさせて頂いております最中は、わたしの場合は入居者様に声掛けと言い、声をかけさせて頂いて不安を極力軽減した状態で行うのですが、そのお方様は目が凄く動きます。何かを訴えたいのか、ただ見ているだけなのか、わたしの顔と言いますよりも目を凝視(ぎょうし・じっと見つめる様)されます。脳の状態に問題が無い状態で声が出せないというのは、わたしが想像できない領域なのでした。何を想い、日々24時間365日ベットで過ごし、眼球が動いて見える景色を見続ける事について、このお方様が目に入りますと想うのでした。何か言いたいはず・・当然・・っと。そして御相手様は戦時中戦場で看護婦をされてきた、いわば看護と介護は似て非なるではありますが、また同時に非ならざりに似てという感じなのでしょうか。

 他のお方様より目が潤って(うるおって)居りますので、わたしは泣いているのではないだろうか・・っと最初の頃は想っておりましたが、聴いてもお返事は聴けません。そして意思疎通(いしそつう)も出来ません。わたしのさせて頂けた事は目を注意深く見て、日々変化が無いか、いつもと違う目の雰囲気では無いか、それ位しか出来ませんでした。高齢のお方様とは言えど女性です。フロアー全体を通して下(しも)のお世話を男性のわたしがさせて頂く事に抵抗があるお方様は多く居られました。

 そして、お話が出来ないこちらのお方様も恐らくは同様の気持ちかと想像しておりました。まだ20代のわたしだったので若い男性は比較的抵抗が無い事が多く、年齢の若さに、わたしは当時助けられました。中年程の男性になってきますと入居者様女性も拒絶に近い状態も多々ある様です。わたしも介護福祉士キャリア後半は、この抵抗が強まりお世話をさせて頂く限界もちらほら感じておりました。若い男性は孫的な感覚なのでしょうか、多少許される傾向が当時のわたしの施設のフロアーでは、そうゆう傾向がありました。お話が少しそれました。

 お話を戻します。目が潤っておりますので泣いておられるのでは?っと想いましても、お返事は聴けません。うなずいて欲しいとお話致しましたが、四肢(しし・両腕両足)以外にも首回りや腰回り含めまして全身硬直に近い状態でしたので、うなずくという動作も出来ませんでした。

 ご本人様のお気持ちはいかばかりか・・もうしわけないという気持ちなのでした。気持ちを分かれない・わたしがわたしに不甲斐無さを毎回痛感するのです。自分を責めませんが不甲斐無いと想ってしまうのです。介護職の方なら何となく感じると想われます。

 ここでの主人公はわたしではなく、目は動くお方様です。赤いリンゴという歌を歌いながらお世話させて頂いておりました。質問やわたしのお話よりも、わたしが感じたのは、馴染み(なじみ)深い歌を聴いている方が恥ずかしめを紛らわせられるのではないか・・っと想ったからでした。声が出せたならば、どれだけ言いたい事や文句の1つもあったかもしれません。女性職員にして!っとか・・。しかし、流石(さすが)従軍看護婦をされて居りました人生の大先輩であり、職種的にも似た部分もありましたので、勝手に仕事でも大先輩だと想っておりました。こちらの考え方は施設長が精神科医の医師でしたので色々アドバイスを職員は受けさせて頂いておりました。

 施設長「こちらに入居されております方々は、あなた達(職員)の大先輩です。尊敬の念をもって接しなさい。」っと常、お話がありました。「体が想う様に動かない・記憶が混濁(こんだく)されている方も多くいますが、あなた達(職員)健康な人が見下す様な気持ちや態度が絶対に無いように。そうゆう職員は要りません」っという事は言われておりました。

 また、お話がそれてしまいました。介護福祉士の問題行動や事件が現在多く聴きますので、多少フォローしたくなりましたのは、わたしが人生を注いだ事でしたのでご了承下さいです。介護福祉士は待遇が悪いと言われます。そう想います。しかし、わたしが想うは介護士は生きるに足る給料が頂けたならばそれで良し。確かに仕事ではありますが、お世話をするのではなく、お世話をさせて頂く。こうゆう事を綴ると、今では「キラキラ介護士」と嫌味を言われる様ですが、わたしの信念は変わりません。

 
 すみません・・わたしのお話はどうでもいいのですが、介護業界のお話はつい・・。

 わたしは、そのお方様のお世話をさせて頂いております時、わたしの介護技術を肉体をもって受けて下さっている様な感覚は実際ありました。言葉はありませんが、審査ではないですが、心で「そのやり方は良し!」「それはまだね・・」っと言う様な、わたしの勝手な想像とも目から感じる何とも分からない感情というのでしょうか、そうゆうのはありました。あまり業務的時間がありませんので短時間・数分の間・夜間帯で3・4回程お伺いさせて頂きますので、色々想っておりました。当時は声を聴きたいとはあまり想いませんでした。理由は、短時間にさせて頂かないと数十名のお方様を一人ではできなかったからでした。施設形態の特徴でもありました。保健施設でした。

 今、PCでキーボードを打ちながら、綴りをする前に、いつもの如くふっと・・脳裏に急に浮かび綴らせて頂いて居ります。テーマというものをつける時に、「そう言えば、あの方の声って・・お話してみたかった・・」っと改めて想ったので綴らせて頂きました。

 そのお方様は目に力がありました。真っ黒な目をされており、目に動揺を感じませんでした。戦争という厳しい現場で看護婦(師)をされてきたからなのでしょうか、そうゆう当時のお話も聴きたかったです。本当は・・。

 もう、何年も何年も・・・ずーーーっと前のお話。当時の2階フロアーの雰囲気や入居されて居りましたお方様は殆ど覚えております。名前は全員は覚えられませんでしたが・・。顔や会話した事や行事やレクリエーション・行事・リハビリなどなど。

 当時、何も無い・わたし。銀行をお酒の失敗で自主退社し人生を迷走しつつ揺れながら時を過ごしておりました時でした。介護職という業務と言っていいのでしょうか、人間と人間が究極的な時期に人生の最後の時を、わたし(達職員・パート・アルバイト・他スタッフ)と過ごして下さった。

 今でこそブログ内容はあか抜けていませんが、当時はとにかく元気に楽しくを提供できる様に日々頭をひねり、休みの日は本屋さんで介護職ではありますが医学・薬学・レクリエーション・介護技術などなど・現場に必要な事は勝手に勉強していました。行事の準備も帰宅したアパートで、休みの日に。そうゆう日々でした。

 あの10年弱の期間、わたしは人間として何かを教えて頂けたのでしょうか。当時はクリスチャンでは無かったのですが、昨年マザー・テレサさんもインド・カルカッタで同じ事をされているのを知り、ちょっぴりだけお気持ちを感じ、また今となれば主イエス・キリスト様に感謝なのです。

 人一人の人生の最終章という時期。それが健康かどうかは問題ではなくと言うと語弊がありますかと想われますが、どの様な状態にあっても同じ人間であると言う事を、言葉にならない言葉で、人一人みんな、みなさんが、どの様な人生を歩まれたのでしょうか、カルテだけでは分からない何かを分かりたく、感じたく、時に介護職とはお話しなんかされたくないお方様もおります。空虚な施設という形態の部屋のベットで1日過ごされます、わたし達職員は帰宅すれば自宅があります。しかし、入居されているお方様はベットの上が自宅なのです。この言葉も精神科医の施設長がよく職員に話された事。どれだけ、想像できるか、どれだけ相手様の気持ちに寄り添えるか、答えのない事でした。

 声を聴きたかった。   それは、綴りの最後になってきまして、どうでもいいと想う様になりました。不思議なものです。綺麗な記憶は少ないながらも、車いすでも、ベットで寝たきりの方も、あのフロアーで共に一緒に居た方々。家族ではありませんが、家族より長く時間を共にさせて頂き、わたしの20代30代半ばの、わたしの勝手なお友達?人生の大先輩ばかりのお友達。

 

 昨年入院した時、わたし自身が下のお世話を若い女性看護師さんにして頂いた時、わたしは介護福祉士当時、御相手様がどの様なお気持ちだったのか、痛いほど感じました。

 わたくし事でしたが、入院中、週2回程3週間、お世話して頂き、羞恥心(しゅうちしん)が崩壊し、心が砕けました。人によっては喜ぶお方様もいるらしいですが、わたしは、心が・心の羞恥心が粉々に崩壊しました。それ程までに、とても恥ずかしく、情けない・言葉がでない・出来る事ならほっといて・・っという様な・・。わたしは自分の無力さを究極的に痛感致しました。クリスチャンにさせて頂いた昨年、本当は2016年12月が一番最初なのですが、わたしの中から男性としての何かを奪っていかれた気持ちでした。「君にはお似合いだ」っと。。どうゆう意味なのかは、ここでは控えさせて頂きます。

 
 お話が入り乱れましたが、意図的な部分もあります。

 綺麗事ではありませんが、介護はわたしにとっては大変な事ではありませんでした。気のもちようという事でもなかったのでした。

 人生の最終章・時期を一緒に過ごせるという事は、わたしにとりましては神様から与えられた恵みなのだと感じます。大変なのは、介護させて頂く方ではないと。介護される方が一番、気持ちが複雑なのだと、わたしが入院し下のお世話をして頂いた事でも分かった事でした。無力な状態の弱い立場の人間を、無抵抗だからと、なんでもしていいと、なんでも言っていいと、高慢・高ぶる、その様は、違うという事を。介護疲れをきたす原因は分かりませんが、相手様が人生の大先輩であるという尊敬の念をもつこと。相手に抵抗され、ひっかかれ、殴られても、辛いのは わたしたちではないという事を

忘れてはいけないと。大嫌いな人だった、もしかしたら、そうゆう親でしたり、他人様でしたり、または、御親戚でしたり、神様がわたしに遣わしてくださったお方様なのでしょう。

 わたしは、そう想うに至ります。

 わたしは立派な人間ではありません。

 人生の大先輩のお方様のお世話をさせて頂けた事、その様な機会を与えて下さっていた入居者様のおかげなのです。

 そして、この様な人間として、わたしが一番貴重で宝だと想います人生の最終章・時期・天国へ一番近い時期のお方様の傍で仕事させて頂き、頂けた事を主イエス・キリスト様に感謝致します。

 お立ち寄り頂き、貴重なお時間割いて読んで頂き、ありがとうございました。

 失礼致します。

 by sets

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