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独り言・ささやかな情報発信・考察・メッセージなどを綴って居ります・未熟なクリスチャン

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裁判の傍聴体験と聖書「ヨハネによる福音書第8章3〜11節」の部分

 裁判の傍聴体験と聖書「ヨハネによる福音書第8章3〜11節」の部分

 18歳の夏でした。今回の綴りは18歳の時に刑事裁判傍聴体験のお話です。感想文みたいなものです。住んでいる所近くの裁判所にて刑事裁判の傍聴(ぼうちょう・裁判の議論等を聴く事)をした事がありました。私一人で行かせて頂きました。

 法廷(ほうてい・裁判官が裁判を行う場所)内に入りました。当日の傍聴者(ぼうちょうしゃ)は、私一人でした。

 法律用語多く綴りますと文章が難しくなりますので極力砕いて(くだいて)綴れたらとは想います。

 被告人【ひこくにん・犯罪の嫌疑(けんぎ=疑いの意味)を受けて公訴を提起(起訴)された者】は「窃盗(せっとう・盗み=ぬすみ)の容疑=窃盗を犯したと言う疑い」でした。私は裁判官と被告人の居る空間から柵(さく)を隔てて(へだてて)後ろの席で一人で座って居りました。初めての経験で少し緊張しておりました。

 裁判が始まり、被告人が中に入って来ました。その瞬間、目が一瞬合いました。18歳の時の記憶が今も写真で撮ったかのように残っております。被告人は男性・頭は坊主で手錠(てじょう)をかけられており、わたしを涼しい目でチラッと見てました。何を想って居たのかは今でも分かりません。ただ、当時感じた私の勝手な目から受けた感覚は、「見てんじゃねーよ・・何来てんだよ・・」っという事でした。あくまでも私の勝手な感覚です。

 そして裁判が始まりました。裁判官と被告人との会話のやり取りはすっかり忘れてしまいました。。メモ帳に会話を殆ど書き綴って居りましたが恐らく過去に処分してしまったのでしょうか。

 わたしは犯罪者を裁いて(さばいて)いるのではありません。悪い事をした奴だから牢屋(ろうや)に入って当たり前だ!・・っと言う事を綴るつもりはありません。被害に遭われたお方様の心情を想えば、とても怖かったり様々な嫌な想い出になったり、もしかしたらトラウマ( 大きな精神的ショックや恐怖が原因で起きる心の傷。精神的外傷)になっている可能性もありますが、この綴りでは被害者のお方様の事はあえて綴る事は控えさせて頂きます。ご了承くださいです。

 では、何を綴りたいのか・・。想いつきで綴っているというのではなく、当時から何となく犯罪が起きる度に想っている事なのでしょうか。それは盗みを含めて全ての犯罪を犯す(おかす)には理由があったはず・・そして被告人はどうゆう生き方をされてきたのでしょうか・・それは私などが知れる事でもありませんが・・。

 こちらの裁判がどうゆう判決だったのかは忘れてしまいました。裁判が終わり被告人が法廷から出て行かれました。私の方を見る事は無かったです。被告人男性は若い方でした。私が18歳でしたが少し歳は上の印象でした。

 裁判傍聴が終わり私は帰りました。

 私だけでは無いと想いますが日本は法治国家(ほうちこっか)ですので法律を犯すと罪に定められます。当たり前の様に警察官が犯罪者を捕まえて裁判所で判決を受け牢屋(ろうや)に入ったり罰金を課せられます。もちろん日本だけではありませんが、それが通常です。私もそれが当たり前であり、被害に合われたお方様の状況やお気持ちを想像した時にそれは当然であると考えて疑わない人でした。
 しかしなのですが、ニュース等を見て頂けると感じないでしょうか。牢屋に入り反省して出てきたはずのお方様が全員では当然ありませんが再び犯罪を犯してしまうというニュース。出来事でしょうか。漠然とした疑問というのか違和感はずーーっと感じつつも、深く考えてその原因を突き止める事までは一切してこなかったのでした。

 
 一気に時間を進めさせて頂きます。

 私がクリスチャンなり全然未熟ながらに学びの中で感じる事は18歳のあの時から抱いていた罪人への捉え方(とらえかた)と言うのでしょうか、罪を犯したら法治国家たる日本においては罰を受けるのは当然であるという考え方・つまり裁く(さばく)側の捉え方ではなく・・私自身は罪を一回も犯した事が無かったか?・・・即答でNO(いいえ)です。警察に捕まり(つかまり)裁判を受ける様な罪は無かったですが、バイクのスピード違反で捕まった事はあります。減点と罰金でした。あれは速度違反です。
 犯罪の種類により、また被害の大きさや社会に与える影響などを考えた時に裁判の判決は変わってくるでしょう。

 っと、ここまで綴らせて頂きつつ、本日のTVニュースで知りました芸人様の謝罪会見でした。ここでは、こちらのニュースの内容は割愛(かつあい・はぶくの意)させて頂きます。

 ふっと、TVニュースを拝聴させて頂いている時に聖書のある聖句が頭をよぎりました。

 聖書「ヨハネによる福音書第8章3〜11節」の部分・以下聖書抜粋です。 3すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、 4「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。 5モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。 6彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。 7彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。 8そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。 9これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。 10そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。 11女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。

 

 私の感想や解釈をここで色々綴る事を控え(ひかえ)させて頂きます。

 私が裁判所の傍聴体験や今日の芸人様の謝罪会見を見ており犯罪は良くないと想います。ただ、別な視点から見た時に聖書の綴りを想いました。

 私が綴れる事はここまでです。

 お立ち寄りして頂き感謝いたします。

 ありがとうございました。

 失礼致します。
 ※)法律用語を少々曖昧(あいまい)に綴ってしまいました。お詫びして訂正いたします。
 by sets

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