setsの独り言

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独り言・ささやかな情報発信・考察・メッセージなどを綴って居ります・未熟なクリスチャン

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26時のミュージシャンと悔い改め

 

26時のミュージシャンと悔い改め

 わたしが20代の頃だったでしょうか。夜に飲みに行く事が結構多かったのでした。そして大宮駅からアパートまでの帰路(きろ)に必ずいらっしゃったストリートミュージシャン様を横目に帰宅する事が通常でした。

 ある日いつもの様にアパートに帰ろうとしてたのですが一人の20代後半~30代前半程の男性ストリートミュージシャン様がいらっしゃりました。大宮駅からあまり離れて無かったと記憶しております。アスファルトの地面にあぐら座りをされてアコースティックギターを肩にかけて自作であろう曲歌を唄っておりました。私はアルコールも入って居りましたが足を止めて歌を聴いて居りました。日本語の歌なのですがストリートミュージシャン様は凄く熱唱される事もあり、どんな歌詞なのかさっぱり聴き取れませんでした。そんな理由が足を止めるきっかけになっておりました。誰もが聴いて良い歌詞だ・・良い曲だ・・なんて素敵なんだ・・っと想って足を止める程通り過ぎる人々はストリートミュージシャン様に意識どころか見る事もしていない・・そんな雰囲気が通常では無かったかと記憶と想像が入り混じります。私はその時お酒の酔いがまわり何を唄っているのか分からないミュージシャン様が気にかかった・・ただそれだけの事でした。何故、そんな昔昔の酔っていた時の記憶が残っているのかは私にも分かりません。そして今、何故・その事を綴ろうとしているのか分かりません。ただ1つ有るとしたら、秋葉原や時折お見掛けするストリートミュージシャン様を拝見させて頂きますと、その時の男性とその時の想い出がふっと脳裏をよぎるのです。皆様にもそうゆう事ってあるのではないでしょうか。そんな想いで話です。特に何も変わった事は綴りません。単なる想い出話です。

 お話を戻します。その男性の熱唱を1曲位だったと想いますが聴いた後、突如私らしからぬ行動に出ました。

「すみませんーリクエストしても良いですか?」っと図々しくも注文してしまったのでした。そのミュージシャン様に。相手様は歳下であろう酔っ払いの私に嫌な顔一つせず、「あ・・いいっすよ」っと目をぎょろっとし、顎(あご)を突き出してうなづく様にお返事してくださりました。

ミュージシャン様「で・・何がいいっすか?」

私「ん~じゃぁ、十八番(おはこ)をお願いします」(おはこ=得意な曲)

ミュージシャン様「え~~~十八番っすか。あ~~ん~~分かりました。では」

っと・おっしゃられて曲を披露して下さりました。どんな歌詞かどんなメロディーなのかすっかり忘れてしまいました。ただ、何ていうのでしょうか、熱唱している男性を拝見していて感じました。「俺・・なんか偉そうだな・・」っと・・。曲と全く関係のない事を考えたりしていました。作詞作曲された曲を恐らく沢山沢山練習されて、しかもその十八番を惜しみなく(おしみなく)通りすがりの酔っ払いの私に聴かせて下さったのでした。聴いている人は時間帯もありますでしょうか、私一人でした。

 今振り返ってみて感じるのは、私の態度ばかりが想いだされるのでした。

今、全くの趣味でギターや電子ピアノをちょろちょろお遊び程度に弾いて居て想います。凄く難しい・・っと。作詞作曲ってどうやってするのだろう・・っとか。それを駅前で披露するという事。どんなお気持ちだったのでしょうか。ライブハウスや大きなコンサート会場ではなく、殆ど(ほとんど)の人が目でチラッとも見ず通過する駅の周辺で行われるライブなのでしょうか。お話してないので実際どんなお気持ちだったのかは分かりません。
 私は男性の十八番を聴いてちょっとのお金も渡さずに「ありがとうございました」っとお礼だけ言ってご機嫌でアパートに帰宅し寝てしまいました。。

 男性ミュージシャン様の横にはギターケースのふたが開けられており、そこに千円札らしきお金がほんの数枚と硬貨がまばらにあった様な記憶だけはあります。

 私は今綴りながら悔い改めるに至りました。親切でも善意も無く、ただ自分の欲求だけを訴えて大事な大事であろう十八番の曲をタダで歌って頂けたのにお礼のお金も支払わなかった・・。色々な言い訳はできますが所詮言い訳ですので割愛致します。

 お金だけが欲しくてストリートで活動されているとは想えませんが、お金は分かり易い気持ちの対価として・音楽活動をされておられるであろう男性ミュージシャン様への正当な感謝の形では無かったのだろうかと今反省し悔い改め(くいあらため)に至ったのでした。神様が私に「まだ悔い改めるべき事がある。記憶が残っているのならば気づきなさい」っと言われている様なそんな想いというのでしょうか、気づきを感じました。

 その日は仕事が休みでしたので大宮駅周辺にある居酒屋に行っていたのでした。

 ただのお話でした。

 気づき・悔い改めは神様を本当に信じ恐れる心から生じる事でもあるでしょうし、神様・主イエス・キリスト様の人性を想った時にクリスチャンとして当時の私の言動を悔い改めずには居られなかったのでした。もしかしたら小さな小さな事で相手男性ミュージシャン様は何とも想って無かったかもしれません。かもですが。

 しかし神様はずっとずっと見ておられたのでしょうか。悔い改めとは深い深い罪を犯してしまった時に、「ああ・・助けて欲しい・・赦して欲しい・・」っと本当に深く深く想う経験をしないと悔い改めと言う気持ちにはならないのでは無いか・っと言う風な内容のお話を牧師さんがされて居りました。赦して欲しいと・・何か大きな罪を犯してしまった時に、それが法律で裁かれるか裁かれないか法律で許されたか許されないかという事とは別なものとして、人間の霊的な部分で「あぁ・・なんて事をしてしまったのだろうか・・・誰にこの気持ちをお話ししたら良いのだろうか・・赦されるのならば赦してもらえるのならば・・赦して下さい・・」っと心というのでしょうか魂とでも言うのでしょうか、霊的に救われるとは神様にしか出来ない事なのだと気づけました。

 ですから、主イエス・キリスト様への信仰というのは強制されて勧誘されて出来る事では無いとも牧師さんはそうゆう風な内容もお話されて居りました。

 
「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実(ルカ16:10)」今回の綴りの中から聖書のルカによる福音書 16:10を感じさせて頂きました。


 お立ち寄りして頂き、ありがとうございましった。ブックマークもありがとうございました。感謝致します。

 では、失礼致します。

  by sets

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